「チラシ配り」オワコン化? 手段と目標の混乱
こんにちは、ズミです。
いきなりですが
チラシ配りってオワコンだと思いませんか?!
その理由を実体験とともに
僕が感じたことをこのブログを通じてシェアできたらなと思います。
何を今更って思う方もおられると思いますが最後まで読んでいただけると嬉しいです。
〜体験談〜
先日、僕は人生で初めてチラシ配りの経験をしました。
若者の環境問題に対する関心を広げるという目的でチラシ配りをしている団体があったので、それに参加しました。
大量のチラシを渡され
1時間ほどチラシ配りを終えた僕は、、、、、
もう、本当にメンタルズタボロwww
なぜかって??
無視のオンパレード!!
目線は合わせてくれないし、声をかけても無視される
「よっしゃ受け取ってもらえた!」と思えば
数メートル先で捨てられているじゃねぇか、、、、、
ほんまにみんな冷たいなぁ、、、、、、、、、
正直、「おい、フザケンナよ。こっちは一生懸命配ってるんやで!」と思ってしまいました。
でも、ふと思いました、、、
知らない奴に興味のない情報が載っている紙を配られたところで
心が揺らぐわけないよなって
僕は普段チラシは貰わないようにしています。
理由はどうせ捨てるからです。
みなさんも街を歩いているとチラシをもらったり配っているとこを見たことは少なからずあるかと思います。
僕と同じように捨てるから貰わない人って結構多いんじゃないかな?
そもそも街中のチラシって世間的にもあんまりいいイメージはないしむしろウザいイメージを持ってる人の方が多いかも
(もちろんそんなことないって人もいると思います。実際、笑顔で受け取ってくれる人もほんのわずかはいましたし)
そんな元々、チラシを毛嫌いするようなイメージのある人に対してどれだけ訴えても結果は見えていますよね。
興味のないもののただの押し付けですから無視されたり、断られたり捨てられるのも仕方がないのかも
労力の割に効果があまり期待されないので
興味や関心を広げたいという目的のチラシ配りに関しては
オワコンかなという結論になりました。
そう思った僕はチラシ配りを企画した方にこの思いを伝えました。
すると、「無視されるのなんか当たり前、チラシ配りなんてこんなもんよ」と言われてしまいました。
僕はその時、確信しました。
得られるものが少ないとわかっているのに実行するということは
あーーー、チラシを配ることが目標になっているな、自己満足だな、、、と
これだと
目標を達成するための手段のはずが、手段を達成することが目標になっています。
世間的に話題作りをして、関心を引いてから細かい情報を載せたチラシを配るとか
自分が有名になって、有名人が配ってるからチラシ貰おうかなって思ってもらえるようにするとか
チラシを配るにしろある程度の段階は必要だと思います。
世の中本当に 手段と目標が混乱していることが多いなと思います。
例えば 選挙の演説
既存の支持者はさらに支持の思いが強くなるかもしれませんが
無党派層を新たな支持者として獲得したいなら、元々興味のある人しか聞かないような街頭演説って多くの票を得る必要がある選挙のための手段としてはあまり効果が無いように思います。(選挙に関しては複雑すぎるので一概には言えないですが)
とにかく
手段を目標にしてしまうと得られるものも得られません
何をするときも
本来の目的を成し遂げるための目印である目標を達成するために
この手段で正しいのかどうか見直すのがいいかなと思います。
「原点に戻る」ってやつですね。
以上
最後まで読んでいただきありがとうございました!!!!